わたしのアンテナ~心地よく今を過ごせますように~

「あの時の私は 毎日、何をしていたのだろう?」と思うのがイヤなので、記録するという趣味である記録ブログです

長くて 短い③

死をみつめると…
生がみえてくる⁉


紙切れにメッセージ
大学ノート
4色ボールペン


これを意識にあげれば
すぐに あの日の父に繋がる


父が 自分の病っている
病名を知ってから
初めて 会った日のこと(前回記事続き)


父を含めて4人で
病状説明を聞く


この時の父は おそらく

医師の言うことを聞いていれば
今の体調がよくなり
元の健康な身体になっていくと
信じていたのだと思う


医師は淡々と説明を進めていく
(わたしには そう聞こえた)

このまま 何もしなければ
余命は半年


標準治療の話が始まり…

抗がん剤を使っていくこと

そして
薬は効くか効かないかは
投与してみないと
分からないこと


抗がん剤治療をし
今ある腫瘍を小さくしてから
摘出手術をすること


肝臓の手術はしないこと


抗がん剤投与のスケジュール
抗がん剤の種類 等など…

約10日後に抗がん剤治療開始


医師 そして父も
もう その選択をしている
(なぜ?)


専門用語も出てきて
ひとつひとつの言葉に
ついていくのに必死


医師の話に ただ ただ
うなずくだけ…


だけど 最後に

"肝臓の手術はしない" の質問として
 肝臓再生のことを発言した


なるべく 前向きな言葉で
医師からの説明を
終えてほしかった

再生の見込みがあればの
かなり可能性の低い条件ではあるが

"経過をみていく" と言葉をもらい
 説明は終わった


そのあと…
自動販売機のある待合室で
4人で少し話した


「人間が死ぬ原因は
   病気か事故かの 
   大体どっちかやで」

「身体の一番 肝心な
   臓器でやから 本望やで」

「やること やったで」と

ほぼ 本心だと思うが…

わたし達を
気遣っての発言らしきことを
父は言った


「お父さんは
   何を言っとんかいの!」と

いつものように 母に言われ


弟のお嫁さんとわたしも
顔を見合わせて笑った


わたしがもし
父の立場だったとしたら…

こんな風に
受け止められるだろうか

やること やったで と
言えるだろうか


それぞれに
思うことを抱えて

父以外は
いつもの家に帰る…


わたしの渡した
大学ノートには


"夢が現実になるノート"と
 名前をつけられて


この日から
父は 感じたことを
色々とこのノートに
書いていってくれる



家に帰ると…

いつものように
家族とご飯を食べ

子どもとお風呂に入り
一緒に寝る

朝がきて 支度して
仕事にも でかける


仕事なんか 
まともにできるはずがない


ふとした瞬間
また 父のことを思い出す


空いた時間に ネットで検索 
また 検索…

モニターは 涙で滲んでくる…



居ても立っても居られない

浸っている場合でもない
早く早く いい方法は?



わたしの中で
疑問は 広がるばかり…

抗がん剤の副作用によって
免疫力も低下して(わたしの想像)

そのような患者の身体に
本当に摘出手術ができるのだろうか
(父の場合 小さくなり手術ができた)

できたとしても
今のような体力が
維持されているのだろうか
(治療を続けるうちに低下していった)


身体によくないと感じている
(あくまで わたしの感覚)


そんな得体の知れん液体を
身体に入れて
(手術ができる恩恵は勿論あった)


効くか効かないかは分からん⁉
それはないやろ~


身体にキレイな血液が行き渡った
今の状態が ベストではないのか?



こんなわたしの
感覚的な疑問は…


父の意識にも 
届けることはできず


5月25日には 
投与されることになる


ただ ただ
わたしひとり 焦りまくっていた


ほんとに 
抗がん剤投与すんの?

疑問はないん?

ほんまに 大丈夫?


まだまだ続く…
いつまで続く…


担当してくださった先生へ

初めて会った時には
こんな感情を抱いていました
先生の立場では それは最善


現に 父と先生の間には
信頼関係ができていたのだから…

ありがとうございます


長くて 短い話
聞いてくださり ありがとう