わたしのアンテナ~心地よく今を過ごせますように~

「あの時の私は 毎日、何をしていたのだろう?」と思うのがイヤなので、記録するという趣味である記録ブログです

ガン宣告 されても 何もかわらない いつもと同じ平常心

検査を受けて ガンの疑いがあるといわれてから 数時間後
やがて、疑いは 疑いでなく 病名が確定されてしまった。

入院中のお父さんは どんな想いでいるんだろうか。

病院嫌いな お父さん
日頃から 『病院に行ったら病気になる 』が 口癖


病名が確定された 今、思えば ‥‥

病院に早くに行っていれば もっと早くから ガン宣告
(しかし、早期発見ならば 大腸なので 見えてるガンは 取り切れたかも)

早くに行かなかったから ギリギリまで ガン宣告されず
普通に晩酌し 何の制限もなく 自分の好きに過ごせていた。

やっぱり  再発を心配しつつ 色々な制限の為に我慢し
予防的に抗がん剤を受けることは
(この選択を余儀無くされる方々には 私の想像する中で
心の安定を保つのに チカラが必要であると思われる。
また、強い思いのある方だとも思う。
当事者でないので、あまり発言できないけれど)

お父さんの選択肢にすら なかった。
(実際、抗がん剤治療は予防的ではなく 対処法であり
今あるガンを小さくする為に使ったのだから)


あ~~病院に行かなければ ガンじゃなかったのに
あ~~先週会った時は ガンじゃなかったのに

なーんて 考えても仕方のないことばかり
アタマに浮かんできた。


だけども、今から 病名宣告されてから
はじめて お父さんに会う。

何て、声をかければいい?



なんて 言ったかな。あの時。

私:『もう!だから もっと早くに病院行っとけばよかったのにー
まあ、なってもーたもん しょうがないけど』

父:『人が死ぬ原因は 病気か 事故かくらいやで』


あんまりにも 普通過ぎる会話で、一緒にいた母も弟のお嫁さんも私も
いつもどおりに笑いながら

『もう!お父さんは!』


実際、先生の話の中では
何の治療もしなければ 余命は半年 と言われた。


こんな中でも 冗談めかした(本人は決して冗談ではない)言い方で
いつものまんまの お父さんだった。

色んな葛藤があるはずだけれど、いつもの自分、自分で
今、それぞれが出来ることを無理なく 協力して続けていく事になる。


病状把握して、治療法を自分で選択し治療をする。→父

診察、治療の説明を共に受ける。→送迎、付添いを母とお嫁さん又は弟

病状把握して、治療法を選択する手伝いをする→私


ネットで検索、検索 ひたすら検索の日々の中で
ガンについて詳しく調べアドバイスをされている方に出逢った。

父には内緒でアドバイスを受け始めていた。
とてもいい 心構えを感じたので、父に伝える。


『治療の選択は自分で行うこと
医師もアドバイザーであり、主治医は あくまで自分』


病院に行き、
先生の言われた通りクスリ飲んでれば治る的な思いでは
ガンと付き合うには ちょっと イヤ だいぶん軽すぎるよ!の
私の思いも うまく伝えてられて


やっと

正しい選択
今まで以上に快適に毎日を過ごしていくいい方法を
一緒に考えていける基盤ができた感じ。


焦りまくっていた私も 少し平常心が戻ってきた。