そんな風に あの時
お父さんは 診察室で先生に尋ねたよね
聞きたいこと 見たいこと
感じていたいことに
フォーカスして
"幸せのアンテナ立てて
過ごしていた" と思う
なのに
倦怠感が
お父さんを覆ってしまう
ガン細胞も
元々自分の細胞やったんや
切り離し 見捨てたら イカン
まるで赤ちゃんを
身ごもった 母のように
共存していく! と
"ガンちゃん"と
名前を付けて 呼んでいた
ダルくて
なにもする気が
起きない らしい
確か あの診察は
最後まで 診てもらえるのか
どういう 心積もりで
抗がん剤治療を終えた
患者=わたしの父を
先生は 見ているのか を
わたしが 確かめに行った日だ
最後まで痛みのコントロールを
〇〇さんの希望に沿って
薬を使い 抑えていく と
体調が悪くなった時には
いつ入院して頂いても
大丈夫です と
そう 話をしてくれた
確かに
治療を目的とした病院なのだから
やる事は終わり
これ以上ない 最善の答えを
聞かせてくれた
こんな状況の中
倦怠感は
自分の気の持ちようなのか? と
聞いた 父の心情
締め付けられる 思いがした
倦怠感は
病気からくるものだ と
先生は サラリと答えた……
気の持ちよう だったら
よかったのに……